sea_horseの日記

日々の記録をおもむくままに  

中野正剛

中野正剛氏のことを知った。
WIKIや松岡正剛の千夜千冊によると

中野正剛さんは朝日の辣腕記者、その後政治家。雄弁家であり、思想に惚れ込むとまっしぐらという性格で、ヒトラーを評価したり、満州国支持、シベリア出兵反対、ファシストだが東条の戦線拡大反対。試行錯誤を繰り返した人生のようだ。1942年(昭和17)11月10日、早大創立60周年の記念講演にて熱弁を振るい東条を避難。〈日本の巨船は怒とうの中に漂っている。便乗主義者を満載していては危険である。諸君、自己に目覚めよ。天下一人をもって興れ〉熱狂した学生は都の西北を歌い、勢いがすごく、憲兵は演説静止をできなかったという。竹下登はこの演説を聞いて政治家を目指した。この演説の1年後倒閣容疑で連行され1周間で釈放されたが、その後割腹自殺。関係皇族や息子への懲罰処置を回避するためという説もある。
柔道が強く「姿三四郎」のモデルとなった学生に勝ったという。骨折の再手術の際の血栓で40歳頃左脚を切断している。