sea_horseの日記

日々の記録をおもむくままに  

立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)

立川談志が喉頭がんのため11月21日に亡くなり、家族葬のあと23日に一般に死亡の事実が発表された。

家族の記者会見のコメントを見ると、いい関係であったことがよくわかる。
「すごく母が頑張りまして、何でも父のことが一番で。娘から見ていても、すごく幸せな夫婦だったと思います。」「(声を失う)以前の父は本当に破天荒で、私たちの子供のころからテレビで言っていることと家で言っていることは全く同じですし、家族に対して愛情が深い人でしたけど、全く外と家の乖離(かいり)はありませんでした。」
「意外に思われるかもしれませんが、すごく家族孝行でしたね。」

Wikiを読みなおして:
談志は笑点を企画し初代の司会であったことを初めて知った。
三枝が「憧れだった。師匠に認められたくて一生懸命にやって来た。」、「亡くなった事をウソだと思いたい。」とコメント。
桂南光が酒席で、談志に「あんたの落語は素晴らしいけど、あんたがマスコミやら何やらで、下らない話をするのはがまんがならん。もし生活のためにやってはるんやったら、贅沢はさせてあげられまへんけど、あんた一人ぐらい私が面倒みてあげますさかい、落語に専念しなはれ」と暴言を吐いたが、談志は「ま、いろいろあるんだよ」と言って笑い、その後弟子一同に対し、桂南光と言う男はなかなかの男だから、関わる際には失礼の無いようにと申し渡したという。
http://matome.naver.jp/odai/2132203290691388501:談志逸話