sea_horseの日記

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朴 槿惠(Park Geun-hye,パク・クネ、パク・クンヘ、1952年2月2日 - )新大統領

韓国大統領選の投票は2012年12月19日に行われた。文在寅を僅差で上回る51.6パーセントの票を獲得して、朴槿恵(パク・クンヘ ハングル読みでPark KunHaeとなるがリエゾンしHが消えて発音はパク・クネとなる)が大統領に当選。初の女性大統領となった。
7月に与党・セヌリ党(軍事政権の流れを汲む保守派元ハンナラ党が2月に改称)の代表として大統領選挙に立候補。最大野党である民主統合党の文在寅との一騎打ちとなりこれを制した。
朴正煕元大統領の長女であり、独身であり子供もいないが、政治家として国に身を捧げると公言している。そのため「韓国の母」と称されることもある。大統領選の選挙活動中には、「民生大統領」「約束大統領」「大統合大統領」という3つの要素を備えた大統領になる、とした

父朴正熙は1917年生まれ。貧しい家の出で師範学校卒業後教師をしていたがその後満州国陸軍軍官学校の予科第二期生として入学。上位5名の成績優秀生として表彰された。その後、5ヶ月の現場実習後、日本の陸軍士官学校へ編入。44年9月まで、学び、その後、満州軍将校として転戦、45年の終戦。46年9月、朝鮮警備士官学校に二期生として入学。韓国軍士官となった。韓国軍将校として朝鮮戦争を戦い、53年、准将に昇進。60年、朴正熙は創設されたばかりの釜山軍需基地司令部司令官となった。政府の無能と腐敗、無政府状態を打開するため、43歳の朴正熙は61年5月16日、クーデターを決行。軍政を行い、63年に大統領選挙を実施、自身が当選した。日韓国交正常化反対勢力を押し切るため、64年6月に戒厳令を発布、翌年6月に「日韓基本条約」の締結。日本から無償3億ドル、有償2億ドル、融資3億ドルと、計8億ドルの資金を確保した。成し遂げた韓国の経済成長は「漢江の奇跡」と呼ばれる。
日韓国交正常化で得られた日本からの経済支援と、ベトナム派兵で得た米国からの支援が要因である。批判派は、日本からの汚いお金と、ベトナム派兵で得た血まみれのお金、だと言う。そういった左派勢力は現在も多く、パククネの批判につながっている。

パク・クネは質素倹約で育てられ、70年、ソウルのカトリック系大学、西江大学の電子工学科に進学。4年間の成績は、平均3・82(4点満点)、首席卒業。大学教授をめざしフランス留学中のパク・クネに、母暗殺の報が届いた。北朝鮮の指令による在日朝鮮人の銃撃を受けた。22歳の彼女は母の代わりにファーストレディ役を務めることになった。79年10月27日朴正熙大統領は、宮井洞での宴席で、金載圭・韓国中央情報部長に撃たれ、死亡した。
その後静かな生活を送っていたパク・クネは97年、ハンナラ党に入党、翌年国会議員に立候補した。こう記している「政治をやろうとは思わなかった。90年代に入ってから、出馬提案は何度もあったが、そのたびに断ってきた。IMF以後起こった一連の事態を見、国の根幹が揺らいでいるのに、私だけが安易な生活を送ることはできなかった。私は『政治人・パククネ』の道を進む決心をした。大韓民国の発展のために残りの人生をすべて捧げる覚悟を決めた」

ところで大前研一は新政権に変革主導はあまり期待できないといいます。任期は5年なので「5年後に力量のある人物が大統領になれば、朝鮮半島には大きな変化が起こり得る」と大前は予測。5年後の具体的な大統領有力候補者として、元国連事務総長の潘基文の名前を挙げます。
大前さんの分析では韓国の三つの姿をとらえないといけないという。
(1)日本に追いつけ、追い越せとやってきた韓国。
(2)1987年のIMF(国際通貨基金)危機後、金大中大統領が
   さまざまな改革を断行して生まれ変わった韓国。
(3)経済界出身の李明博大統領の下で国際的地位を向上させた韓国。
一部大企業は大成功しているが、基礎技術は日本に依存しているなど日本とは共存関係にある。しかしIMF管理下に置かれた苦しい経験から改革を素早く断行する厳しさを持っている。日本とは全く違う国になっている。南北統一、人材の質を伸ばしGDPで日本を抜けばグレートコリアになる可能性がある。